PEACE IN TIME

ギャラリー形式のMy Photograph Album

華の住処

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横浜市中区山下町

横浜中華街

北京冬季五輪の開会式を観ていたら
台湾代表団が入場した際に
中華人民共和国の国営テレビ局が
習近平国家主席の映像に一瞬切り替えた。
その意図は???

呼称問題で警戒していて
一度は開会式を
不参加すると表明していた台湾だけど
開会式に参加してくれて
習近平国家主席も喜ぶ姿を
捉えたのかなと思ったけれど
香港選手団が入場した時
再び習近平国家主席の姿が映し出され
その時に
習近平国家主席を映す
その意味を悟りました。

そんな北京冬季オリンピック
開会式映像を見たものだから
映画「華のスミカ」をモチーフにした
中華街写真を撮りたくなります。

 

1949 年に中華人民共和国が出来た時から
横浜の華僑社会も
中国本土の政治的混乱の影響を受け
台湾系と大陸系の
対立が続いていました。

1952年、横浜中華学校
毛沢東を支持する教育が行われているとして
教師が学校から追放されるという事件が起き
この「学校占拠事件」の結果、
横浜中華街は
学校と華僑総会が台湾系と大陸系に分裂。
対立が決定的になります。
道路を整備したり
下水を直すなどの話し合いさえも
話し合いがうまく進まず
山下町の中華街では
行政も入り込めない状況が続きます。

しかし関帝廟の再建を機に
台湾系と大陸系の人達が協力し合い
36年前からは、
台湾系と大陸系の店舗が一緒になって
中華街春節イベントを
催すようになりました。

水面下での思想的、歴史的対立はあれど
今、横浜中華街では
台湾系と大陸系の共存共栄が
成立しています。

現在の華僑の事は、
関帝廟近くにある
中華民國留日横濱華僑總會に赴いた時
いろいろとお話を伺いました。

その関係が
ずっとずっと続くことを願います。