PEACE IN TIME

ギャラリー形式のMy Photograph Album

横浜中華街 関帝廟

横浜市中区山下町140


1949 年に中華人民共和国が出来た時から
横浜の華僑社会も
中国本土の政治的混乱の影響を受け
台湾系と大陸系の
対立が続いていました。

1952年、横浜中華学校
毛沢東を支持する教育が行われているとして
教師が学校から追放されるという事件が起き
この「学校事件」の結果、
横浜中華街は
学校と華僑総会が台湾系と大陸系に分裂。
対立が決定的になります。

道路を整備したり
下水を直すなどの話し合いさえも
話し合いがうまく進まず
山下町の中華街では
行政も入り込めない状況が続きます。

しかし火災で焼失した関帝廟の再建を機に
台湾系と大陸系の人達が協力し合い
37年前からは、
台湾系と大陸系の店舗が一緒になって
中華街春節イベントを
催すようになりました。

水面下での思想的、歴史的対立はあれど
今、横浜中華街では関帝廟のおかげで
台湾系と大陸系の共存共栄が
成立しています。

この関係が
ずっとずっと続くことを願います。