電線を地中化し
ぶらぶらするだけで楽しいストリートとして
「イセブラ」という言葉まで生んだ
ザキこと伊勢佐木町商店街
(今や「ザキに行く」は死語ですが・・・)
横浜に繁華街が西口と
元町くらいしかなかった時代
レコードを買うのも楽器を買ったのも
映画を見たのもここ伊勢佐木町だった。
当時、横浜の電車に乗ると
みな伊勢佐木町にある
有隣堂のカバーを付けた本を読んでいたな。
横浜松坂屋が撤退し
1922年(大正11年)に開店した
「不二家 伊勢佐木町店」も
老朽化が進み、耐震等の問題もあることから休業
伊勢佐木町商店街が
イセザキ・モールと名を変えた頃から
大手のチェーン店が次々と進出
どこにでもあるような商店街になっちゃった。
浜っ子の商店街だった伊勢佐木町商店街は、
今や多国籍の人で賑わう商店街。
南区の伊勢佐木町に近い地域は、
中国人が多く住んでいるので
イセザキ・モールでは
中国語が飛び交い
ストリートに流れる放送も日本語と中国語。
ちなみに伊勢佐木町に近い
市立南吉田小学校は、
本人が外国籍や両親のどちらかが
外国籍の児童が全校の半数以上を占め
中国・台湾語、英語、タガログ語、
韓国語、タイ語で運動会放送を行いました。
イセザキ・モール、
ラーメン屋さんがものすごく多いです。
1.2キロのストリートの中には
私の好きな横浜家系ラーメン店だけに絞っても
6軒あります。