
愛の母子像(港の見える丘公園)
横浜市中区
48年前の今日、
1977年9月27日
厚木基地を離陸し、
太平洋上の航空母艦
「ミッドウェイ」に向かおうとした
アメリカ海兵隊の戦術偵察機が、
離陸直後に燃料満載の状態で
エンジン火災を起こします。
乗員2名は射出座席を用いて脱出、
パラシュートで
横浜市緑区(現青葉区)
鴨志田町付近に着地し
海上自衛隊厚木救難飛行隊の
ヘリコプターに収容されて
基地に無事帰還
一方、放棄され制御を失った機体は
住宅地に墜落し
火だるまになった機体の破片を飛び散らせ
家屋20戸を炎上・全半壊させ
負傷者は、墜落地周辺の人達によって
次々に車で病院に搬送されます。
アメリカ軍関係者は約1時間後に現場に到着、
日米地位協定(第2条)を盾に
真っ先に現場周囲の人たちを締め出したのち
エンジンなどを回収
この作業の際には
笑顔でピースサインを示して
記念撮影をおこなう兵士もいました。
長男 裕一郎ちゃん(当時3歳)と
次男 康弘ちゃん(当時1歳))の
男児2名の兄弟は全身火傷により
翌日の未明までに相次いで死亡します。
この時、
裕一郎ちゃん・康弘ちゃんともに
何度もお水をちょうだいと訴えますが
医師から許可されず
裕一郎ちゃんは
「パパ、ママ、バイバイ」と
譫言(うわごと)を呟き
これが最期の言葉となります。
そして康弘ちゃんは
好きだった鳩ぽっぽの歌の出だしを
「ぽっぽっぽ」と歌い
そのまま息絶えます。
また兄弟の母親である和枝さんも
全身にやけどを負い
70回にも及ぶ皮膚移植手術を繰り返しながら
長期間にわたり入退院を繰り返しました。
我が子に会いたい一心で
懸命にリハビリに励む和枝さんに
2人の子供が死亡した事は伝えられず
真実を知らされたのは
事故から1年3か月後。
彼女の精神的なダメージは計り知れず
半ば強制的に精神科単科病院に転院
そして事故から4年4か月後
和枝さんは
心因性呼吸困難により死亡します