2024-11-06 文明開化の音がする 横浜散歩 横浜市中区 馬車道 1866年(慶応2年)の慶応の大火の後、幕府は諸外国との間で居留地の整備などに関する取り決めを締結します。そこに外国側の要請として盛り込まれていたのが幅60フィート(約18メートル)の馬車のための道を整備することでした。道路は3本作られ、そのうち2番目の道路が1868年に開通した現在の馬車道にあたります。当時の人々にとって馬車の姿は非常に珍しく「異人馬車」などと呼んでいたことからこの道は「馬車道」と呼ばれるようになりました。