PEACE IN TIME

ギャラリー形式のMy Photograph Album

文明開化の音がする

横浜市中区

馬車道

1866年(慶応2年)の慶応の大火の後、
幕府は諸外国との間で
居留地の整備などに関する取り決めを締結します。
そこに外国側の要請として盛り込まれていたのが
幅60フィート(約18メートル)の
馬車のための道を整備することでした。
道路は3本作られ、そのうち2番目の道路が
1868年に開通した現在の馬車道にあたります。
当時の人々にとって馬車の姿は非常に珍しく
「異人馬車」などと呼んでいたことから
この道は「馬車道」と呼ばれるようになりました。