横濱増田窯
ジャガージャングル コンチネンタルディナー皿
横浜の焼き物は
1871年の廃藩置県が
大きなきっかけとなり始まります。
藩御用達の腕のある陶工達は
この制度によりパトロンを失い、
技術を持っていながらも職までが危ぶまれましたが
優れた品質と美術性を持った日本の陶磁器は、
瞬く間に欧米諸国で高い評価を受けます。
そんな新たな世界への挑戦を求め、
京都から移窯してきた真葛香山を筆頭に
全国から横浜に陶工たちが集まり、
横浜焼の黄金時代がスタートしました。
開港前までは藩という狭い世界の中で
器づくりをしてきた彼らがヨコハマで
海外から持ち込まれる洋食器を目にするようになり
これまで見たこともないデザイン、形状
そして華やかな色使いに陶工達は今までにない
感動と刺激を覚えました。
その熱情に掻き立てられた職人達は
伝統だけに縛られない自由な発想で
和と洋の感性と最高技術を取入れ
今までの日本の陶磁器にはない
焼き物を誕生させ
世界を相手に腕を競うようになりました。
中でも京都から移住した宮川香山は
逸早く横浜に窯を築き、
横浜焼の先駆者として名を轟かせました。
その精巧華麗な作品は
1873年のウィーン万国博覧会での
名誉金牌受賞を初め、
あらゆる国内外の大博覧会で最高賞を受賞。
横浜には一時、400人ほどの陶工が集まり
「世界の横浜焼」として輸出されていました。
しかし、世界大戦の大空襲や大震災などにより
横浜の窯は残念ながら途絶えてしまいます。