PEACE IN TIME

ギャラリー形式のMy Photograph Album

横浜鶴見 沖縄タウン(沖鶴地区)

沖縄県人に対する差別は
目に見えて存在した。

「沖縄人お断り」の貼り紙を
出す店まであった。

京浜工業地帯の川崎市や鶴見は、
労働力確保の為
貧困地域だった沖縄の人を受け入れたけど
待ち構えていたのは
今では考えられない様な
高度成長期の「きつい・汚い・危険」の
いわゆる3Kの仕事

1970年前半まで、沖縄出身者は
就職も進学も、家を借りるにも、
差別や言葉の問題などで難しかった。

もちろん恋愛や結婚にも
差別による障害があった。

店を出すにも起業するにも
銀行は相手にしてくれないから
小口金融のための「モアイ」という
沖縄独特の自給自足の組織を
この街でつくった。

この街に沖縄出身者が集ったのは
沖縄出身者同士で
支え合っていかなければ
生きていけないという現実があったから

この街に集まって
暮らさねばならないという
歴史があったのです。

横浜市鶴見区仲通