横浜市中区元町1丁目13番地
アメリカの紀行作家で
「日本・人力車旅情
(Jinrikisha Days in Japan)」の著者
エリザ・R・シドモアさんは
日本の桜に魅了され
桜をワシントン市に
植樹することを提案します。
この提案に時の大統領夫人や
当時アメリカで活躍していた
高峰譲吉氏などが賛同し
東京市からワシントン市に
桜が贈られることになりました。
1912年、
横浜港から出港した「阿波丸」により
3000本の桜の苗木が送りだされ
ポトマック河畔の桜並木が誕生します。
シドモアさんは
彼女の生前の希望もあり
遺骨はお母様やお兄様が眠る
横浜の外人墓地に埋葬されます。
1991年、ワシントン市から
5本の桜の苗木が日本に里帰りし
そのうち1本は
シドモアさんの墓の傍らに植えられ
残る4本は同じ外国人墓地の
アメリカ区に植えられました。
アメリカから里帰りした桜は
「シドモア桜」と呼ばれるようになります。
1991年に送られてきた5本の桜の内、
何本かは枯れてしまう事態もあり、
横浜市はシドモア桜から
接ぎ木手法で苗木を作り
初期に植えられたものが
元町商店街に通じる
谷戸橋のたもとで咲いていました。