PEACE IN TIME

ギャラリー形式のMy Photograph Album

ひとりじゃない(必ず味方がいる)

朝日新聞の朝刊、
町田市での小学校6年生の女児の自殺に関して
「配布端末での悪口 管理に不備」とか
SNSとのつき合い方を議論すべき」とかを
社説と社会面で語っていたけど
本質は、そこじゃないよな

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今から書く言葉は
君には届かないかもしれない。
だって、いじめてる子は、
自分がいじめっ子だなんて思っていないから。

いじめがばれた時、
いじめっ子が口をそろえて
「じぶんはいじめてない」って言うのは、
大人が言う保身(ほしん)のためだけじゃなく
その子の正直な気持ちじゃないかなと思います。

ただ遊んでいるだけなんだよね。
自分より弱いおもちゃで。
相手を人間だと思ってたら、
いじめなんてできないよね。
感情のおもむくままに、
醜悪なゲームで遊んでいるんだもんね。

ぼくもツイッター
よく死ねとか消えろとかブスとか
ウザいとか言われます。
顔が見えないから体は傷つかないけど、
匿名(とくめい)なぶん、
言葉のナイフは鋭(するど)いです。

ぼくだけでなく、
時には家族を傷つけられることもある。
涙が出ないくらい苦しくて、
死にたくなる日もあります。

けれどぼくは、ぼくがいくら泣こうが、
本当に自殺しようが、
その人たちが何も感じないことを知っている。
いじめられた子が苦しんで、泣いて、死んでも、
いじめた子は変わらず明日も笑ってご飯を食べる。
いじめは、いじめた人には
「どうでもいいこと」なんです。

いじめを止めるのは、
残念ながらいじめられた子の死ではありません。
その子が死んでも、また他の子でいじめは続く。
いじめは、いじめる子に
想像力を持ってもらうことでしか止まらない。

いじめゲームをしている君へ。

あのね。
キモい死ねと連日ネットで言われる
ぼくが生まれた日、
パパとママはうれしくて、
命にかえても守りたいと思って、
ぼくがかわいくて、すごく泣いたらしいですよ。
この子に出会うために
生きてきたんだって思えるくらい
幸せだったんだって。
それは、ぼくが生意気(なまいき)になった
今でも変わらないそうですよ。

想像してください。
君があざ笑った子がはじめて立った日、
はじめて歩いた日、はじめて笑った日、
うれしくて泣いたり笑ったりした人たちの姿を。
君がキモいウザいと思った人を、
世界中の誰(だれ)よりも、
じぶんの命にかえても、
愛している人たちのことを。

そして、
その人たちと同じように
笑ったり泣いたりして君を育ててきた、
君のお父さんやお母さんが、
今の君を見てどう思うのか。

それは、君のちっぽけな優越感と引き換えに
失ってもいいものなのか。
いま一度、考えてみてください。

(はるな・ふうか=タレント)