横浜市西区戸部町4丁目
朝は造船所に向かう人たちの
下駄や雪駄の音、
昼に はボーっという汽笛の音が響き
日常生活に
造船所が密着していた街の通り
岩亀横丁や戸部通りは、
横浜船渠会社
後の三菱重工業横浜造船所の
企業城下町でした。
岩亀横丁というこの通りの名は、
横浜開港時に外国人や商人を接待した
岩亀楼の遊女たちが
病に倒れた時に静養する寮が
ここにあったことが由来
本来なら「使い捨て」にされていた
遊女という身分の人故に
静養というより隔離だったのじゃないかなと
思っています。
いったい何の病だったのかな?
梅毒? コレラ? 淋病?
それとも
妊娠=堕胎を病としたのかな?
国や横浜の歴史を裏から支えた遊女たち。
岩亀横丁という
この通りの名を知らしめていく事が、
歴史のはざまに追いやられた彼女たちが
国のため町のために横浜で生きていた証を
伝えられることだとも思っています。
この通りには、
岩亀楼の遊女が参ったと伝わる
岩亀稲荷が現存しています。