西光山普応院大誓寺
承応2年(1653年)に、旧小菅ケ谷村の名主、梅沢与治右衛門(うめざわよじえもん)勝国により創建された。
室町・戦国時代の仏師弘円(通称は下野法眼(しもつけほうげん))が
文明元年(1469年)に作ったとされる仏像とは本尊のことであろうか。
また、親鸞上人がこの地を訪れた時に、
また、親鸞上人がこの地を訪れた時に、
小菅ケ谷のやぐらにこもって、7体の太子像を作ったとされ、
「太子矢倉」と古くから呼ばれていました。
そのとき作った鎌倉七太子は、
鎌倉の成福寺、三浦の最宝寺のものとされています。
大誓寺の聖徳太子十六歳像は、
ほかに樹齢400年といわれる名木古木指定のサルスベリ、
同じく名木古木指定を受けている
樹齢420年のザクロ、イロハモミジがある。
樹齢420年のザクロ、イロハモミジがある。
また、「お十夜念仏」という双盤念仏講は、
聖徳太子像を安置しているが、蕾付き牡丹の花の飾り瓦は上がってはいない。
サルスベリ、ザクロ、イロハモミジの古木があり、静かで落ち着く境内です。