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横浜市栄区小菅ヶ谷 春日神社本殿(中宮)の彫刻

横浜市栄区小菅ヶ谷3丁目に鎮座する
春日神社本殿(中宮)は、
四面を江戸時代末期の作と言われる彫刻で
包まれています。

正面上部に
春日神社の四祭神の総合体と言われる
春日大明神の神像を刻み
左右両側面と後背面に四祭神を配しています。

 

春日神社本殿の彫刻の神は、以下の通りです。

正面 春日大明神
左側 雷神(武甕槌大神
右側 神功皇后と武内宿弥(天児屋根神)
背面 経津主神比売神

 

春日神とは、春日大社の祭神である

以下の四柱の神の総称

武甕槌命鹿島神宮)と

経津主命香取神宮)は

藤原氏中臣氏)の守護神とされ、

天児屋根命比売神

藤原氏の祖神とされる。

 

武甕槌命
御雷神とも記す。記紀神話に出てくる剣神。国譲りの使者となって大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りを承諾させ、また神武(じんむ)天皇が熊野(くまの)上陸の直後に失神した際に、命ぜられて平国の剣の韴霊(ふつのみたま)を降(くだ)し、建国の事業を助けた。その剣神である証(あかし)は、自らのかわりに剣を降したり、国譲り交渉で剣先扶坐(ふざ)の姿をとったりするところに明らかである。しかしその本源は甕(みか)ツ霊(ち)であり、それは伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の火神殺害の神話で、甕(みか)ハヤ霊(ひ)とともに、あるいはその子として初現することから推定できる。この神の剣神化により、物部(もののべ)氏の剣神経津主神(ふつぬしのかみ)はその地位を失っていくが、経津主神は『古事記』にはまったく現れない。なお、この神はのちに鹿島(かしま)神宮の主神となり、藤原氏氏神として奈良の春日(かすが)神社にも祀(まつ)られた。